日記って何?

最近は日記と言いつつも記事やあった出来事に関する自分の意見しか書いてなかった気がする。
というより、色々あり過ぎて自分の“日記”を挟む余裕すらなかった。

特にネタがない日はブログが途切れるというのもなんなので、
今日からは一つでも自分のやったことをこのブログに残そうかな、と思った。


ただ、日記とは何だろう?
今まで深く考えたこともなかった。
ひとまず、goo辞書で調べてみた。

にき 【▽日記】

〔「にっき」の促音「つ」の無表記〕日記。
「男もすなる―といふものを/土左」

なんかこれは違う・・・

にっき 0 【日記】

(1)日々の出来事や感想などを一日ごとに日付を添えて、当日またはそれに近い時点で記した記録。古くは「御堂関白記」「玉葉」「明月記」などが著名だが、職掌上交替で書き継がれた「御湯殿上日記」などもある。日誌。にき。
日記文学

  1. 日々の出来事や感想など
  2. 一日ごとに日付を添える
  3. 当日またはそれに近い時点で記す

この条件を満たすと日記となるらしい。
では、最近の自分のブログをそれぞれに関してチェックしてみよう。

  1. 確かに、日々の出来事やそれに対する感想を述べている
  2. それはこのブログの機能についている
  3. 大概、その日につけているから満たしているはず

なるほど。自分が今まで付けていたものは“日記”だったのだ。
だが、何か違う。
何かが違うはず。
ここ暫くのものは、その主人公が自分でないのだ。
日記の定義が例え自分のものじゃない事でも良しだとしても、何か違う気がする。
そして、自分自身がそう違和感を感じている以上、自分にとってそれは“日記”ではないのだろう。

何を今更・・・当たり前じゃん

その通りかもしれない。いや、その通りだ。
だが、それが分かっていなかった。
少なくともここ暫くはそんなことも忘れていた。
忘れるほど、焦っていた。
納得のいくものが書けない。
筆が全く進まない。
凄まじい焦燥と罪悪感で押しつぶされそうな時もあった。
何かがおかしかった。
自分の中で何かが崩れ去っていた。
恐らくそれは、“自信”そのもの。
本格的に取り組める時間が増えてから、様々なサイトや2ちゃんのスレッドで
コンシューマ向けにゲームを作っているクリエイターへインタビューや
彼らのゲームに対する考え方を見てきた。
中には、一に画質、二に画質、三四も画質で、五も画質っていうような
とんでもない人もいたが、幸い、多くの参考になる意見を見られた。
正直、彼らの考え方には驚かされたし、良い刺激を貰った。
ただ、それと同時に、自分がちっぽけな存在に思えた。
実際そうなのだろうが、何か時代に取り残されたような・・・
自分は分かっているつもりだったのに、それが“つもり”なだけだった・・・
そんな焦燥感。
だから追いつこうと必死に背伸びした。
何の土台もない男が、必死に背伸びを試みた。
こんなものじゃない・・・
こんなものじゃダメだ・・・
これなものじゃ話にならない・・・
常に自分を否定し、そしてその現実から逃げた。
愚かで在り来たりな存在の自分見たくないから。


だが、今日見かけた一つの言葉で思い直せた。
その一言で心のつっかえが取れた。
それは自分を最も焦らせた人の言葉だった。
その張本人の言葉で、こんなにも勇気づけられるとは思ってもいなかった。
いや、張本人だからこそ勇気づけられたのだろう。
思わず、笑ってしまった。笑いが止まらなかった。
「オレはオレでいいんだ」
今ある自分を出せればいい。
そう、他人を見て焦りながら作っても良いものが出来るわけがない。
それに、無理に背伸びして出来上がったものは
本当に“オレが作りたかったもの”ではないだろう。
“オレが作りたかったもの”でなければ意味がないのだ。
独りよがりかも知れないが、“オレが作りたかったもの”を作る。
そうでなければ意味がない。
少なくとも自分にとっては意味がない。
“オレが作りたかったもの”はイコール面白いものなのだから。
だから、今は自分を信じよう。
なんだかんだで今までそうしてきたように。
自分の感性が、自分が間違っていないと信じよう。

明日からは、一歩一歩踏みしめて歩みたい。
少なくとも、そう注意を払おう。


ここ暫く、狂ったように気になった記事を張り付けては
それに対する意見を載せていた理由が解った気がする。
焦って焦って焦っていた。
そして、自分を見失っていた。
何か別のものを書くことで書いた気になっていた。
気分を紛らわせていた。
10/16に記事貼り付け病が途切れたことで、久々に自分が見られた・・・。
ある人の言葉とこの事、この二つの偶然に感謝する。


このブログが、スタッフに知られてなくて本当に良かった・・・。